2024/10/11

夫婦別姓の導入には、単なる制度変更以上の重大な問題が潜んでいます。
それは、
日本的家族制度を支える『苗字の廃止』
日本の伝統を破壊する『民族破壊運動』
という二つの本質的な危機です。
これらの問題を深く見つめると、夫婦別姓とは“多様性”の名を借りた文化破壊であり、私たち日本人のアイデンティティを揺るがす重大な問題であることがわかります。
Contents
苗字(名字)の廃止は家族制度の廃止と言える
日本における「苗字」とは、婚姻や養子縁組といった契約によって変わる“家族制度”を支える根幹です。
一方で「姓(カバネ)」とは血統を意味し、契約では変わりません。
「苗字(みょうじ)」と「姓(かばね:せい)」は、今ではほぼ同じように使われていますが、もともとはまったく異なる意味を持つ言葉でした。
「姓(かばね:せい)」とは?
古代の血統や氏族を表す名前です。
「氏姓制度」という古代日本の身分制度の一部でした。
大和時代から平安時代にかけて使われていたもので、天皇から下賜(かし)された、身分や血縁を表す称号でした。
たとえば、源平藤橘(げんぺいとうきつ)と呼ばれるようなものですね。
(源:みなもと、平:たいら、藤原:ふじわら、橘:たちばな、など)
「苗字(みょうじ)」とは?
中世以降、土地や家系を表すために使われた名前です。
武士や貴族が、自分の領地や住んでいる場所、家柄などに由来して名乗るようになりました。
たとえば、新田(にった)、上杉(うえすぎ)、徳川(とくがわ)ですね。
苗字はその後、「名字(みょうじ)」とも書かれ、江戸時代になると庶民の間でも徐々に使われるようになりました。(ただし名乗るのは制限されていました)。
これらからわかる通り、夫婦別姓とは「苗字を使わず、カバネを使う」という発想であり、これはすなわち「苗字の廃止」を意味します。
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日本の「苗字」は世界に誇る家族文化
日本では土地の所有権を持つことができたため、私有財産と結びついた苗字が家名、一族の名前を意味します。
東アジアの中でこのような「苗字」という概念を制度として持ち、育んできたのは日本だけです。
中国・朝鮮半島では、土地の私有権を長期にわたり保障する法律体系が構築されなかったため、「苗字」は発達しませんでした。
朝鮮・中国・ベトナムなど儒教文化圏は基本的に夫婦別姓です。
これは先祖の祭祀を行う関係上、子孫は先祖の『姓』を引き継ぐものであり、血統が個人の『姓』を決定したからです。
なので、結婚しても夫婦が同じ姓になることはありません。
上でも説明した通り、これは『姓(かばね)』の考え方であり、『苗字』とは違うものです。
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ややこしい話ではありますが、現代における日本の名字(姓)は『姓:かばね』ではなく、苗字です。
苗字であるがために、結婚すれば同じ苗字になるのは家族だから当たり前のことです。
その苗字の考え方を廃止するということは、一族の名前をぞんざいに扱い、家族意識を失わせるためだと言っても過言ではありません。
夫婦別姓は“民族破壊運動”の一環である
以上のことからわかる通り、夫婦別姓が危険なのは、単なる「夫婦の呼び方」ではなく、日本社会の構造そのものを破壊しようとする動きだからです。
特に、日本の伝統的な家族観に反発し、これを壊そうとする一部の思想家や活動家によって、夫婦別姓は“日本的価値観”への否定という手段として使われています。
夫婦別姓は「家族の一体感」を破壊する
夫婦別姓が導入されれば、親と子の名字が異なる『親子別氏』が生じます。
学校で「なんでお父さんと名字が違うの?」と子どもが問われ、アイデンティティの混乱が生まれるでしょう。
家庭の中でも「私は◯◯家の人間ではない」という心理的な断絶が生まれる可能性があります。
そもそも、日本では「夫婦は同じ名前を名乗る」という文化が深く根付いています。
それは、単に法律の問題ではなく、「妻も家族の一員である」という愛情と敬意に基づいた日本独自の文化なのです。
これを『時代遅れ』だと否定することこそ、多様性という名の暴力であり、日本の家庭文化に対する侮辱です。
多様性という言葉を持ち出すのであれば、民族の独自性を保つことも多様性の一つではないでしょうか?
内縁関係で十分、旧姓拡大で十分、なぜ制度を壊すのか?
夫婦別姓を望む人々には、すでに内縁制度という選択肢があります。
日本では、婚姻届を提出しなくても「事実婚」で住民票に“妻(未届)”と記載することができ、社会的にも保護される仕組みが整っています。
社会的にも旧姓の拡大措置がとられ、職場で元の名字を名乗ることも許されています。
にもかかわらず、制度としてあえて夫婦別姓を導入しようとするのは、「家族という概念そのもの」を破壊したいという意図があるからではないでしょうか?
これは単なる個人の選択の問題ではなく、日本の伝統や文化、そして家族制度への攻撃です。
まとめ:多様性の名のもとに文化を壊すな
私たち日本人は、古来より「家族とは何か」「人と人のつながりとは何か」を深く考え、苗字という制度を通して実践してきました。
夫婦同氏というのは、愛と責任の証です。
これを「自由の侵害」などとすり替えるのは本末転倒です。
多様性とは「他人の文化を尊重すること」であり、押し付けるものではありません。
日本固有の家族文化を守ることは、決して「時代遅れ」ではなく、むしろこれからの世界にとって必要な“絆”の形です。
夫婦別姓という制度によって、日本人の家庭の絆を壊すような動きには、私たちは断固として反対します。
家族を守ることこそ、文化を守ること。
これは“絶対に譲れない一線”です。